「知的障害」と「発達障害」と「自閉症」
我が子は、中等度の知的障害です。
療育手帳にそう書いてあります。
だから特別支援学校に通っています。
そして、それ以外の診断名は付いていません。
我が子の通う支援学校の同級生の親御さんは、お子さんに知的な遅れがある場合でも、医学的な病名があればもちろんその病名の方をおっしゃるし、身体的な病気や障害が無ければ「発達障害」「自閉症」とおっしゃる方が多いです。たまたまかもしれませんが...。
「うちの子は知的障害です」と言う(それ以外言うことがない)のは私だけです。
以前に病院で
「うちの子は、自閉症とかそういった診断名はつかないんでしょうか?」
と聞いてみました。
するとお医者さんに
「自閉症スペクトラムの傾向はあるが、診断名をつけた方がよければつけますけれど...」
と言われました。私は
「え?診断名って親の希望でつけるものなの?」
と混乱し、その場では
「いえ、必要なければいいです...」
と答えてしまいました。
その後、相談支援員の方に
「診断名は付けてもらった方がいいのでしょうか?」
と尋ねてみたところ、「自閉症だからこういう対応」「発達障害だからこう言う対応」というように診断名によって対応が決まるのではないこと。
同じ診断名でも、必要な支援は個人によって違いがあり、人によって適切な対応が異なるため、「個人個人に必要な対応をする」という感じであること。
だから診断名は必須ではない、と言われました。
それからネットで色々検索したり、知識習得に努める中で、
発達障害や自閉症は知的な遅れを含まないので、知的障害とは違う訳だが、発達障害と知的障害に対して福祉施設が行う対応は共通した部分が多いということも理解しました。
だから、自閉症傾向とはいえ症状がそこまで強くないうちの子の場合は、診断名が付いていなくても、不利益は無いのだろうという結論に達しつつあったのですが、
ネット検索をいろいろする中で、考えが変わってきました。
「発達障害」や「自閉症」は、比較的新しい名称であり、行政からも様々な周知のためのキャンペーンやイベントがなされ、それをカミングアウトする方も多く、認知度が高い。
知的な遅れがなく、カミングアウトの仕方が上手な方が多い。
少なくとも、支援的な、意識が高い文脈で語られていることが多い。テレビなどで取り上げられることもある。
一方で「知的障害」は、昔から存在を知られているためか、行政からの周知キャンペーンは少ないように思う。
それゆえ世間の意識がアップデートされていないということなのか、「知的障害」という言葉が差別的な文脈で使われているのをよく見かける。
メディアが取り上げられることも少ない気がする。
多くの人は、知的障害についてほとんど知らないのではないだろうか。
知的障害に関する周知活動は、明らかに不足しているように思う。
そして、世間に知的障害についての理解が浸透していない現状では、もしかしたら「知的障害です」と言うよりも、「知的な遅れを伴う発達障害/自閉症です」と言う方が、世間に理解されサポートを受けやすいのかもしれない?
そうだとしたら、「自閉症」という診断名を「つけてもらう」ことには意味がある?
知的障害と判定済みのうちの子に、あえて「自閉症スペクトラム」の診断名を追加することは、福祉や医療の観点から見ると、あまり意味がないのだと思う。
しかし、もし、診断名がつくことで、世間の理解を得やすくなる、本人が生きやすくなるのかもしれないと思えば、意味があるのかも...。
私は、専門家でなく素人なので、とんちんかんなことを言ってたらすみません...💦
昨今のLGBTのように、知的障害とはどんな障害なのか、どんな対応が必要なのかについて、世間に周知するキャンペーンがもっと必要なのではないかと思う。
知的障害についての世間の理解が深まることが、子どもたちが生きやすい世の中につながると思うから。。
「知的障害」と「発達障害」と「自閉症」。
わかった気になっても、やっぱり分からないことが出てきて、素人の私は、それらの言葉に翻弄されてしまっています。
数年後には、「あの時はなんであんなことに悩んでたんだろう?」と思うのかもしれないけれど。。
いろいろなことを考えてしまって迷走中。。💦
★この話の後日談はこちら〜